現代ヨーガアシュラム・インド政府公認ヨーガ(ヨガ)講師・赤根彰子 / ヨーガ大学留学記
24 さあ、インドに出発!
それは8月でした。留学はアメリカの苛酷な砂漠の旅を終え、その後、すぐに支度に取り掛かり、家族にしばしの別れを告げて出掛けることとなりました。今は便利なシステムがあって、留学に持って行く大きなリュックは、宅配で前日に取りに来て、その当日成田で受け取れるのです。だから出発の朝は、ほとんど手ぶら状態で、飛行場に行けるという気安さ、ほとんど緊張のない出発。けれど、不安はビーマン(バングラデッシュ航空)の行く先、バングラデッシュの首都ダッカでの一泊でした。行ったことも見たこともない国、しかもガイドブックも本屋にないのです。
記事の要約を記述する方法
ビーマンはエアバスが新しくなっていて、なかなか快適、私は「いいじゃない。問題なし」と喜んでいました。周りは全部日本人。シンガポールで半数の日本人が降り、どこの人か分からない人達が乗って来ました。私の隣には、おそらくタイ人らしきおじさん。彼は英語もしゃべれず、スチュワーデスさんの言うことも分からず、飛行機は初めてという感じで、緊張の面持ち。シートベルトをすることもわからず、ただ堅くなって座っているのです。でも英語が通じないので、私はジェスチャーで示すほかはありません。でも素朴なよいおじさんでした。私はヴェジタリアンミールを頼んでいるので、特別メニューで、そのおじさんは食事のとき、なぜ私のだけが違� ��のか気になっているようでした。でも嬉しそうに機内食を食べていました。
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タイのバンコックに着くと、おじさんは『ほっ』としたように、嬉しそうに降りて行きました。そこでほとんどの日本人は降りてしまい、見渡す限りでは日本人は誰もいません。突然、乗って来た人達の顔ががらっと変わり、どうやらバングラデッシュ人のようです。私の隣に乗って来たバングラデッシュ人は、若いお兄さんで、まだ10代か20代前半といった感じ。こちらの様子を伺っています。私は日本人が居なくなったことで少し不安になってきました。留学するのですから日本人が居ない生活は当たり前なはずなのに、直面するとすこし緊張します。バングラデッシュ人のお兄さんは、先程までのタイ人の素朴なおじさんとは違い、すれた感じで、片言の英 語でも執拗に話しかけてきます。
どのようにuはスペイン語の単語の愛をjsayか?
「どこへ行くのか。何人だ。どこに泊まるのか。ダッカは初めてか。何日ダッカに滞在するのか。ダ ッカを案内してあげるよ」
と言いたいらしく、それを聞き取るだけでも疲れます。
「私はダッカには一晩しか泊まらないし、ダッカを見物するつもりもないから」
と断りましたが、果たしてそれが通じたのか、同じことを繰り返し聞くので『まいったなぁ』と言う感じ。それでも映画が始まると、見始めたので、私は眠りにつくことが出来ました。
結局その飛行機は、シンガポールでとまり一時間のトランジット、私は空港内の免税店などをうろうろし、タイ、バンコックで1時間機内待機、そしてやっとバングラデッシュのダッカに着いたのでした。なんて遠回りなこと。ダッカに着いたのは夜遅く、降り立った飛行場はさすがにイスラム圏、そのロビーには女性の姿はなく、男の人ばかりが不気味な洋装でたくさん座っているのでした。
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