2012年6月5日火曜日

活動報告


活動報告

弘前大学医学部2年 高橋健介

病棟にて

「私、もうすぐ死ぬの」シンガポールで歌手として働いていたというタンペー(23歳)は力無い声でつぶやいた。僕は何もいうことが出来なかった。彼女がこんなに暗い顔をしているのは初めて見た。

3日前、僕が病棟にやってきたとき、彼女は笑顔で迎えてくれた。手をつないで一緒に踊りを踊ったりした。とても陽気な娘だった。言葉は通じなかったが、何となく僕のことを気に入ってくれたみたいだ。

彼女は僕に写真を見せてくれたことがある。彼女が歌手として働いていた時代の写真の中には、美しく、健康そのものの彼女がいた。今日彼女はご飯を食べていない。時折見られる、痰の絡まった咳がとても苦しそうだ。やつれた頬に手を当てると、とても熱かった。手を握ってあげると笑顔を浮かべ、安心したように眠り始めた。

"I want to die. Please tell doctor to kill me."(もう死にたいんだ。医者に言って殺してくれ)そう言って泣き叫んでいる男性がいた。皮膚がぼろぼろとはがれ落ち、そのかゆさに耐えないらしい。かきむしった皮膚には血がにじんでいた。何度も何度も同じことを叫んで暴れようとする。"No. You can spend a good time of your last life in this hospice…"(あなたはここで幸せな最期を過ごせる)そう言ってなだめながらも、僕は自分自身の言葉に絶望を感じていた。この人が本当に全てを理解するまでは、幸せな時は訪れないだろう。健康な僕がどんな慰めの言葉を捧げても、それはきれい事に過ぎない。

首に出来た肉腫がのどに達し、食道に穴があいてしまっている男性がいた。唾を飲み込む度に苦しそうな顔をする。飲んだ飲み物は半分以上その穴から漏れだし、シーツをどろどろに濡らす。看護婦さんが薬で消毒を始めると、気が狂ったかのように、白目をむきだし苦しそうな叫び声を病棟に響きわたらせた。医者がいないため、モルヒネなどの強力な鎮痛剤は使えない。僕に出来たのは、ただしっかりと腕を押さえることだけだった。

向かい側のベットには、やせ こけて骨と皮だけになっている患者さんがいた。手首も足首も握るだけでおれてしまいそうなほど細かった。足の平だけがむくんで異様に大きい。あばら骨が胸の皮膚に張り付いて、一本一本数えることが出来る。話しかけても殆ど反応しない。人の肉体と言うより、骨そのものを見ているような気がした。ハアハアとか細く小刻みな息づかい。この患者さんは翌日の朝冷たくなっていた。

ここのエイズホスピスでは、ほぼ毎日、確実に死が訪れる。一日平均3人、多いときでは10人近い患者さんが冥土へ旅立っていく。個人のベットはカーテンさえもなくただ雑然と並べられているだけだから、患者は毎日のように目の前で死を目撃することになる。次に死ぬのは自分ではないだろうかという不安と戦い、否が応でも死と対面しなければならない環境がそこにはあった。

訪問の経緯

マレー半島とタイを巡る旅行の最後、8月20日から25日までの6日間、僕はエイズホスピスがあることで有名なロッブリーのWat Phra Baht Nam Phu(ワット・パバナプ)というお寺を訪ねた。

僕がこのエイズホスピスのことを知ったのは、筑波大学熱帯医療研究会で活動している本庄太朗さんの訪問体験談を聞いたのが最初だった。その後も学生間のメーリングリスト(E-mailでやりとりする情報共有の場)で多くの学生が訪問していることを知り、是非とも行ってみたいものだと思うようになった。多少観光気分も入っていたかもしれない。

訪問の数ヶ月前にお寺のホームページにあった連絡先にメールを送ってボランティアの意志を伝えたのだが、何の返事もないまま旅行の出発日が来てしまい、本当に受け入れてくれるのだろうかと不安だった。

バンコクに着いたときに電話をかけてみるが、電話に出たお寺の事務局の女の人は全く英語が話せない。盲目的に英語の� �界的勢力を信じて疑わなかった僕にとってはかなりショックで、タイ語の基本会話集を片手に10分ほど何とか粘ってみるが、全く要領を得ず、一方的に電話を切られてしまう。結局、親切そうなツーリストインフォメーションの人に通訳をお願いし、何とか連絡をつける。先方からは寺までの行き方を示したロッブリーの地図をFAXで送ってきてくれた。

寺までの道のり

ロッブリーはもともと遺跡と、そこに住む猿で有名な街である。駅をおりると目の前に遺跡群が立ち並び、道ばたには猿がいかめしい顔をして座っていた。

おみやげ満載のバックパックを背負ってロッブリーの駅に降り立ち、英語の通じないタクシーのおっちゃんに身振り手振りで説明してやっと分かってもらう。


管理痛みquotはquotは

ロッブリーの中心部から10キロほど離れた静かな田園風景の中にそのお寺はあった。小高い山の上に、大きな仏像が鎮座しており、周りにぽつぽつと寺の建物が並んでいる。エイズホスピスは山のふもとの方にあった。僕はもっと物静かな光景を予想していたのだが、タクシーを降りたときはちょうど昼時だったせいもあってか、食堂の周りにがやがやと患者とおぼしき人達がたむろして、世間話なんかをしていた。僕がボランティアに来たらしいことが分かると、「あっちだ、あっちだ」と事務室の場所を教えてくれる。事務室で宿泊届みたいなものを書かされ、部屋をあてがってくれた。仕事の説明などがあるのかと思ったがそれもなかった。驚くほど簡単な手続きだった 。

エイズホスピス

このホスピスを創ったのは、ワット・パバナプ(ワット=寺)の住職、アランコット師である。彼は大学で工学を専攻し、24歳の時にはオーストラリアに留学するなど、エリートの道を進んでいたが、29歳の時に出家して僧侶となり、35歳のときロッブリーのWat Phra Baht Nam Phu(パバナプ寺)に赴任してきた。そして37歳の時、この地方の病院で死にゆくエイズ患者に出会い、エイズホスピスを創ることを決意する。1992年のことだった。そのときの経験を彼はこう記している。

「この人には誰もいない。家族も、友人も、彼を避けた。社会が彼を拒んでいるのだ。私は彼の手を取った。そのとき、その場所で彼は息絶えた。それは衝撃的な経験で、私に多くのことを考えさせた。」

はじめはたったの8床しかなかったホスピスだが、今では400床にまで膨れ上がり、新たに病棟を建設中で、さらに1万人のエイズ患者を収容できる村を、政府の援助などを受けて建設中である。

ホスピスの施設

お寺のホスピス、といっても、機能上、山の上にあるお寺とふもとのホスピスは完全に分けられており、時折心ある僧侶がホスピスを訪ねてくるだけである。

病棟

重症患者用の病棟には約60床のベッドがあり、5,6人ずつのブースに分けられている。男女の区別は特になく、おしめを変えるときも隠したりはしない。結核患者用のベッドが一番奥にガラスで仕切られているが、出入りも自由だし扉も開け放たれているので、完全に隔離されているとは言えない。それぞれのベッドに風が行き渡るようにファンが設置されているが、昼間、患者さんは暑そうだ。真ん中らへんに看護婦が常駐している。オレンジ色の僧衣をまとったお坊さんの患者さんは一カ所にまとめられていた。

バンガロー

病棟の周りを取り囲むように、緑色の屋根のきれいなバンガローが100棟ほど並んでいる。比較的症状の軽い患者さんは、家族と一緒に、あるいは自分一人でバンガローに暮らすことになる。ひとつの棟は、4畳くらいの部屋が二つにトイレ・シャワーがついたものが一般的だ。ここは外部からのボランティアの宿泊施設を兼ねており、僕もここに泊まらせてもらった。いちいち掃除などはしないらしく、部屋の隅やトイレの中にはクモの巣がはっていた。ヤモリ君とも仲良くなった。泊まる場合にはベッドと毛布と扇風機が支給される。

大ホール

ひときわ新しく、大きな建物は、クーラーが効いてビデオモニターなどの視聴覚設備が整った大ホールだ。ここでは毎日、団体でぞろぞろと訪れる見学者のためにホスピスの概要やエイズの知識を講義している。

また、実際に見たわけではないが、一日に一回、健康なエイズ患者に対して僧侶から法話が行われるそうだが、ここで行われているのかもしれない。

火葬場

寺の入り口近くに、大きな煙突のある建物が火葬場だ。患者さんが亡くなると棺に入れられ、車でここまで運ばれる。中にはいると、簡単な儀式が出来るような祭壇があり、その後ろに死体を焼く炉と死体を保存するための冷蔵庫がある。死んだときに死体をどのように処理するかは、入所の際にアンケートをとり、家族にも確認をとっているそうだ。

祭壇はあるものの、きちんとした葬式をするのは週に1回くらいで、大抵の人はそのまま焼かれてしまう。

納骨堂

納骨堂には、これまでにこのホスピスで無くなった患者さんの中で引き取り手のない人たちの骨が、年月ごとに順番に並べてあった。2年、3年と経過したものは、骨の断片を小さな仏像に埋め込んで保存する。将来は家族がホスピスに来たのかどうか探せるように、コンピューターで検索できるシステムを作るらしい。

食堂・売店

食堂と売店では、主に飲食物を売っている。外から来た人はお金を払わなければいけないが、患者さんには全て無料である。ぶっかけご飯は15バーツ(約50円)、コーラ1本7バーツ(約25円)と、良心的な値段である。

事務室・受付

ボランティアはまず事務室へ行って、宿泊許可証のようなものを書かされる。英語の出来る人が少ないのが難点だ。

受付というのは寄付金の受付をするところだ。多額の寄付金をした人は名前が張り出される。

中国の病院

確か「泰中友好醫院」という名前の病院だったと思う。ここでは希望者に対して、中医学(薬草等)の治療が行われるらしい。治療費などは不明。ここには医者が常駐しているわけだが、病棟の方に来ることは無い。

洗濯場

洗濯場では、色とりどりの衣服が干してある。ここにいる患者さん全てのものかどうかは分からないが、膨大な量だった。

新病棟(建設中)

4階建ての新病棟の建設が遅々として進んでいる。ここには新たに200床のベットが入る予定。


"口臭"フェチ

ホスピスでの仕事

スタッフ

ホスピスに勤めるスタッフは殆どボランティアで、症状の軽いエイズ患者さんがその一翼を担っている。看護婦はその資格に応じた給料をもらっているが、世間一般の看護婦に比べるとかなり少ない。

現在、80人のボランティア(大半はエイズ患者)が病棟の内外で働いている。加えて、外部(海外など)からのボランティアが不定期で何人か来ていて、病棟内では看護婦の助けとなっている。

看護婦(士)

20歳前後の若い看護婦(士)が多い。どのようなサイクルで回っているのかは分からなかったが、ほぼ毎日、朝から晩まで病棟にいる看護婦もいた。かといって仕事はそれほどきつそうではなく、よく漫画を読んでいた。

仕事の内容は、配膳・食事介助と薬の配給(一日3回)、昼食後の清拭、おむつ交換、溲瓶の交換、傷口消毒、使った容器類の消毒、などそのほか細かい仕事を挙げればきりがない。

24時間つききりで(さすがに交代制だろうが)看護に当たっている。

外部ボランティア

このホスピスでは、外部から来る、無償のボランティアに対して大きく門戸を開いている。海外からのボランティアも多いようで、僕が行ったときにはオランダ人4人、フランス人1人、スイス人1人が長期(2ヶ月〜1年)でボランティアをしていた。国ではすでに退職しているという年輩の人も多かった。日本人は学生が短期でよく来るらしい。僕が滞在している間にも、浜松医大・筑波大・山口大・佐賀医科大の人が来た。

ボランティアの仕事は何ですか、と初日にオランダ人に聞いたら、「自分でやりたいことは何でも出来るんだよ。」自分で仕事を見つけなさいと暗に言われた。主にやっていたのは、看護婦の仕事の手伝い(ボランティア任せになっている部分もある)と、マッサージだ。僕も母親相手に仕込んだ怪しげなマッサージ術を駆使して奮闘した。一人について20〜30分程度、念入りにマッサージしていた。寝たきりの人が多いため、腰や首などをマッサージするととても喜ぶ。

タイの伝統医学はマッサージ療法だが、確かにみなマッサージされるのが好きらしい。一人が終わると、別なところから声がかかる。「ヘイ、ミスター・ケン!」

ボランティアの働く時間などは特に決まっていない。来たいときに来て眠くなったら帰ればよい。しかし、西洋人の働きを見ていると、とても献身的で頭が下がるものがあった。

2000年セカンドプロジェクト(Thammarak Niwet Project)

アランコット師はまた、ロッブリーから車で一時間ほど離れた郊外にエイズ患者のコミュニティーを作ることを計画中である。その収容人数は、1万人と言うから、とてつもなく大きなものだ。18番ホールのゴルフ場が2つすっぽり入る広さだという。施設と言うよりは、村と言った方が良いかもしれない。計画では2000年からスタートすることになっている。

たまたまホスピスにいらっしゃった、バンコクのバーン・ラック財団(障害児と健常児が共存する幼稚園を主体としたNGO団体)の佐藤さんに見学につれていってもらった。

村はまだまだ建設途中だったが、広大な敷地に立ち並び始めた家々の、緑の屋根とホワイトグリーンの壁がとてもさわやかな印象を与えてくれた。もうすでに入居している人がいるらしく、家の前に置いてある鉢にはきれいな花が咲き誇っていた。

新しい学校もできており、子ども達が元気に遊んでいた。いずれ、病院やショッピングセンターなど、本格的に生活機能を備えた村になるらしい。

この村が本当にエイズ患者だけで構成され、外部との関わりを断ったものになるのかどうかは、疑問の残るところである。僕の考えでは、外部からの干渉を全く受け付けないコミュニティーなど考えられないし、そうすることが患者にとって必ずしも良いことだとも思えない。

これからプロジェクトがどういう方向に進んでいくのかは大変興味のある点である。

タイのエイズの状況

1996年、WHOによって、タイはインドと共に世界の中で最も急速にHIV感染の広まっている地域であると位置づけられた。WHOの一機関であるUNAIDSの調査によると、96年の時点で約75万人のHIV患者がいると推定され、1、2年内に100万人を越えるだろうとの見方だった。97年にはタイの成人のうち、2.23%がAIDSまたはHIVに感染していると概算されている。

しかし、実際にタイ国内のHIV患者やエイズ患者の数を特定するのは難しい。タイ国内には色々な民族や地域差が考えられ、統計学数値を当てはめるのが困難だからだ。実際マスコミなどに流れている情報では、成人男子の4人に1人がHIV患者であるなどと誇張されているが、真実は定かではない。

この状況に対してタイ政府も1993年頃から「100%コンドーム計画」という名称で、全国の売春宿などにコンドームを配布して、その使用を義務づけた。このプロジェクトはそれなりの効果をあげているようだ。

最も母集団が大きく正確だとされているのは、成年男子が対象の徴兵検査から得られたデータだが、それによると、1991年から93年にかけてHIV患者は2.48%、STD(性感染症、HIV含む)は17%だった。これが93年から95年のデータになると、HIV患者は0.55%、STD患者は1.8%と激減している。これは新しくHIVやSTDにかかる若者の割合が大きく減ったことを示している。


に基づく "減量"ダイエット脂肪スマッシュ

しかし、エイズの猛威が現れ始めた1980年代、タイではHIVが恐ろしい伝染病だという誤った認識が広まり、エイズ患者に対する精神的な差別も生じた。HIVがそれ自身ではきわめて感染力の弱いウィルスであることが解明された今でも、特に情報メディアの発達していない農村部では、エイズに対する恐怖が残っており、エイズ患者に対する風当たりも強いらしい。特に注意しなければならないのは、エイズに対する差別を怖れるあまり、住民がHIV検査をなかなか受けたがらないことだ。一度陰性反応が出ると、二度とHIV検査を受けたがらない人がかなり多いという。こうした背景もエイズ大流行の一因となっているのかもしれない。

エイズホスピスの果たす役割

このホスピスの役割は、大きく個人的な側面と社会的側面の二つに分けられると思う。 個人的側面というのは、「患者の最期を安らかなものにする」という、西洋で発達したホスピス本来の意味に即したものである。

タイの国民は仏教に信仰が篤い。お寺で僧侶の説く"死"の観念、輪廻転生などといった思想は、患者さんの死に対する怖れを取り除いてくれるだろう。

また、病気から来る直接的な苦痛に対しては、弱い鎮痛剤や睡眠薬などで対処している。ボランティアによるマッサージは、肉体的な効果はもちろん、精神的な満足を得られるという点でよりいっそう重要だ。僕は、マッサージが終わった後で患者さんが「ありがとう」と言うときの、満足そうな笑顔が忘れられない。

社会的な役割というのは、エイズに対する誤った社会の認識から患者を守るということであり、これも2つに分けられる。

患者さんの中には、エイズであることで家族や友人、コミュニティーから迫害され、行き場がなくなってこのホスピスに来た人もいる。そうした人達を世間から保護してあげる役割が一つ目。

もう一つは、外部からの見学者に大きく門戸を開き、病棟の空気を嗅がせ、エイズの知識を伝達することによって、エイズの誤った認識を改めて差別をなくし、さらにHIVを予防しようという役割。見学者は学生や企業の団体が殆どだが、病棟を見学しているとき、やはり心に響くものがあるのだろう、皆深刻そうな顔をしており、2つ目の意図は半ば成功していると言える。

エイズホスピスの問題点

もっとも切実な問題は、医師が一人もいないということではないだろうか。医師がいないため、処方箋を必要とする薬物治療は出来ない。痛みを取るためのモルヒネなども使えない。ここは病院ではない、死を見つめるためのお寺なのだ、ということが頭では分かっていても、痛みに苦しんでいる患者さんを見ると、助けたくなってしまう。欧米や日本のホスピスでは痛みを取ることが第一に来るわけだが、ここのエイズホスピスでは、苦しみの中で死にゆくことになる。本当に患者さんは幸せな最期を迎えることが出来るのだろうか。

プライベートな空間がないということも問題だ。男性と女性がまぜこぜになっていて、おしめを変えるときも隠したりはしない。慣れてしまえばそれでよいのだが、初めて来た女性の患者さんはおしめを変えるときに泣き出してしまった。

物資の不足も目に付く。熱のある患者さんが多いのに、氷枕(アイスノン)はほんの少ししかない。

結核病棟は存在するが、完全に隔離されているとは言い難い。免疫能力の弱っている患者さんだから、伝染病が発生すれば恐ろしい結果となるだろう。

さらに、根本的な問題として、そもそもエイズ患者を地域社会から隔離する必要があるのか、つまりエイズ患者が元のコミュニティーに戻り、慣れ親しんだ環境で人生の最期を迎えることは出来ないのか、という疑問も残る。

感想(これからのホスピスのあり方?)

ホスピスに行く前は、受け入れのことや言葉の問題など、不安が山ほどあった。送ったはずのEメールの返事も来ないので、一時は訪問を諦めようかと思っていた。

しかし、実際に行ってみると、ボランティアに対しては非常に寛容で、自由に振る舞って良いという雰囲気があり、悪い例えだが、働く意志がなければ一日中ごろごろしているのも可能だった。もちろん、僕が見たボランティアの人たちはオーバーワークとも言える仕事ぶりだったが。

言葉の問題は何とかなるものだ、と改めて気づかされた。言葉がなくても成り立つコミュニケーションがある。はじめは患者さんが何を望んでいるのか分からず苦労したが、慣れるとその身振りや状況から判断できるようになり、仕事もスムーズに出来るようになった。会話を交わさなくても、笑顔を交わすだけでとても幸せな気分になった。込み入った話をしたいときは、ノートとペンを持って、絵を描いて会話をする。ノートは色んな絵でいっぱいになった。しかし、言葉のないコミュニケーションにはやはり限界があり、タイ語をもっと勉強していれば、と思う場面も何度かあった。

僕がエイズホスピスに初めて行って驚いたのは、その開放性だった。「死を間近にした人々」の存在は行く前から予想がついていたが、ホスピスの明るさや外界と行き来の自由さにはとまどいを感じた。特に一日に数百人と来る見学者の多さには驚いた。

だが、僕が理想のホスピスとして頭に描いていたものと全く異なるにも関わらず、必ずしもそれは悪い印象を与えなかった。むしろ、その明るい雰囲気を僕は気に入った。


しかし、ホスピスの計画は、外界と隔絶される方向に向かっているような気がする。4階建ての病棟や、1万人を収容できる村の建設が進んでいる。このホスピスは社会と隔絶された世界になる、その過程にあるのだ、と言った人がいて、なるほど、その通りだと思った。なぜそこまでして隔離しなければならないのか?まだ根強く残るエイズに対する偏見のためだろうか。

 今回、バーンラック財団の佐藤さんに出会ったことで、エイズ問題を障害児問題と照らし合わせて考える機会を得た。どちらも、社会的な差別が存在するという共通項がある。

こんな言葉を聞いたことがある。

「障害者は、社会に優しさを育むために存在するのかもしれない」

弱いものを見ると助けたくなるのは人間の自然の感情であるはずである。そして、弱いものを助けることによって実は自分が色々と教えられている、ということにしばしば気づく。核家族化によって少なくなってしまったが、老人の介護をすることは、優しさといたわりを子どもに教える一番の教科書だろう。

しかし、現代社会においては、むしろ弱いものを排除するという考えが強くなっている気がする。例えば、出生前診断がその一例だ。受精卵の遺伝子から出生児の先天性の障害を見つけ、母親に産まないという選択肢を与えるのは、最先端の医療かもしれないが、健康こそが幸せそのものであるといった傲慢さえ見える。

そもそも、障害とか病気とか死といったものが本当に悪いものなのだろうか?

障害児を育てた親に、子どもが20歳になったとき、子どもを産んで後悔したかどうか聞いたアンケートがある。結果は、殆ど全ての親が後悔していないと答えたそうだ。このことからもわかるように、健康と幸せは別のものだろう。

社会的弱者を社会から隔離するということは、その弱者に対して安全な場所を作ってあげることである。彼らはその中で、差別や偏見に遭うことなく生きていける。

しかし、そのような場所に対しては、どうしても違和感を覚えてしまう。それは、そのような場所が自然の状態ではなく、人間によって作られたものだからだと思う。

障害を持っている人や、ある特定の、感染力の弱い病気を持っている人が、普通の人と一緒に暮らすことはごく自然なことだ。問題は、病気そのものではなくて、差別や偏見を作り出している人間の方にある。

エイズ患者で作るコミュニティーは、患者に安住の地を与えるという点で、素晴らしい発想だと思う。しかし同時に、僕がホスピスで快く感じた開放性を失っては欲しくない。タイにおいてエイズに対する差別がなくなり、健常者とエイズ患者が支え合って生きていけるのが理想だろう。エイズの村が完成したときには、そんな機能も持った村となって欲しいものだと思った。

ホスピスで過ごした6日間は、とても貴重な体験で、色んなことを考えさせられた。また機会があれば、訪れてみたいと思う。

最後に

まとまりのない文章になって申し訳ありませんでした。この文章を読んだ人が少しでもタイのエイズ問題に興味を持ってくれれば、と思います。

今回の訪問で最も嬉しかったのは、ホスピスを中心に色々な人と知り合いになれたことでした。

本文中にも出てきましたバーン・ラック財団の佐藤さんには、バンコクでの学習会に参加させてもらうなど、大変お世話になりました。

ちょうど同じ期間にボランティアに来ていて心強い友となってくれた浜松医大の袴田さん、長旅の疲れも見せず色んな話をしてくださった山口大学の高山さん、カンボジアでのNGO活動を始められる古幡さん、水俣病の研究をしていらっしゃる谷さん、メコンクリエイティブサポートの清水さん、林さん率いる筑波大学とマヒドン大学の皆さん、山口大学の田口さん、藤井さん、西野さん、佐賀医大の大坪さん、ホスピスのスタッフや患者の皆さん、その他様々な場面で出会った人たちと色々な話をしたり、良い思い出を作ることが出来ました。この場を借りてお礼申し上げます。

タイのエイズの状況(97年WHO報告)

人口('97) 59,159,000
成人(15-49歳)人口 34,433,000
HIV/AIDS患者数概算 780,000
患者のうち成人(15-49歳) 770,000
成人のAIDS/HIV感染率 2.23%
AIDS/HIV患者のうち女性 290,000
AIDS/HIV患者のうち子ども 14,000
1997年のAIDSによる死者 60,000
AIDSによる死者累積 230,000
AIDS孤児の累積 48,000
不特定の相手との性交渉(男) 7.4%
不特定の相手との性交渉(女) 3.1%
 

〜参考文献・ホームページ〜

WHO(世界保健機構)
ワット・パバナプ
アジアのHIV/AIDS流行の現状と動向(慶応大学医学部 山沢一樹) http://www.med.keio.ac.jp/‾fi930029/ayama.html
エイズ−正しい理解のために−(塩川優一・北村敬 著 講談社・1991)
アジア・スケッチ(山口大学医学部 高山義浩著)
第1回−春をひさぐ少女達−
第2回・第3回−エイズ患者に安らぎを(1)(2)−


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